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ボランティア
投稿日:2017年5月23日(火)
2017年4月28日
今年もミャンマーのパコック市にある
スージーパン僧院学校に
やって来ました。
031[1]
去年卒業して、医師として研修中のヘインテココ。
外科医を目指しています。
201[1]僧院に新しくできていた建物。
石油会社の社長の寄付だそうです。
021[2]
学校の建物も、新しいのができていました。
041[1]学校に新しくできた遊具。
手作りの滑り台です。
051[1]
教室の内部。
机も黒板もSEEDが寄付したもの。
夏休みなので、生徒はいません。
091[1]
学幸パゴダ
111[1]
尼さんからいただいた写真。
先生や生徒が学幸パゴダで祈っています。
121[1] 12121[1]

夜はこんな感じ。太陽電池を設置したのですが、
バッテリーが壊れた上、今は停電が少なくなったので、
普通の電気を使っているそうです。

061[1] 昼は43℃にもなるので、涼しい午前中に
尼ちゃまたちが勉強していました。

 

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算数の教科書。
ビルマ文字で書かれているので
さっぱり分かりません・・・。

151[1]
夜は奨学生や先生たちと食事。
皆、結構これを楽しみにしているようです。

141[1]

161[1]

皆で記念撮影

211[1] 奨学金授与式。
物価が値上がりしているので、今年は
高校生への奨学金1人分を55万チャットに値上げして
7人分385万チャット、
鉄製のイスとテーブル4人掛けを10セット60万チャット、
教師用のイスとテーブル10セット45万チャット、
黒板5枚15万チャットを寄贈しました。
更に奨学金予備の口座に100万チャットを入れ、
総額605万チャット寄贈しました。

追加として、6月には100万円口座に
振り込んで、予備費を増やしました。

今年も
本村千鶴子さま、小津和夫妻、
オリーブの会AとBさまより
費用の一部を補助していただいております。

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授与式の後、セヤドー(僧のトップ)エッガダーマ師から
お話がありました。
世の中には四つの光がある。
一つ目は太陽の光。昼は照らすことができるが、夜は照らせない。
二つ目は月の光。夜は照らすことができるが、昼は照らせない。
三つ目は電気の光。昼でも夜でも照らせるが、電気が来る場所しか照らせない。
四つ目は学問の光。
これは昼でも夜でも、世界の隅々まで照らすことができる。
良いお話です。
微力ながら、学問の光を灯し続けるため、少しでも長く
奨学金の援助を続けたいと思います。

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僧侶への御布施の準備。
大人数の食事を作るので
皆、大忙しです。181[1]
生徒も大釜でスープを煮込んでいます。

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下ごしらえをする先生たち

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2911[1]
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今年は僧侶、尼、信者さんたち、
総勢300人分の食事に
なりました。
短い期間のみ出家する方も
いるので、僧侶の数の増減は
かなり幅があります。

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御布施のメニュー

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バガンに上る朝日

翌日、朝5時待ち合わせで
奨学生たちが、バガン空港まで
お寺の車で送ってくれました。
皆大きくなって、大学を卒業して
います。
子供から青年へとたくましく成長した
彼らを見るのは嬉しいものです。
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途中で朝食。
モヒンギャーを食べています。

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バガン空港にて

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マンダレーにある伝統医学大学の薬草園。
とにかく広大です。

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鍼灸用針の寄贈

 

 

ミャンマーの伝統医学を取り巻く状況が、今年は厳しく
なっていました。
新しく就任した健康省の大臣は現代医学の医師で、
伝統医学に否定的で、せっかく根付いてきた鍼灸を
禁止しようとしたり、伝統医学で使う薬用の油で
使える種類を勝手に制限しようとしたりと、
伝統医学の医師たちの不満と反感はかなり強く
なっていました。
伝統医出身の国会議員が国会で反論追求している
そうですが、まだもめているようです。
そのせいで、今年は針の寄贈は大学の外で行うことと
なり、鍼灸用針を1万本寄贈しました。
うち、5千本は角本商会さまから寄付していただいた
ものです。

 

ヤンゴンでは毎年、伝統医学病院に針を寄贈して
いたのですが、今年は保険省大臣の命令で
針治療ができなくなっている為、他の病院に
寄贈することにしました。

オウンミン氏がボランティアで鍼灸治療している
病院です。ここは医療NGOの病院で、管轄が
保険省でなく宗教省なので、鍼灸を禁止されて
いないのです。

471[1]
F.F.S.S.というNGOの病院
481[1]
鍼灸用の針を5千本寄贈しました。

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待合室

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オウンミン氏の鍼灸治療室

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この団体は元々貧しい人の葬式を出す活動から始まり、
今ではミャンマーで一番大きいNGOになっているそうです。
日本から寄付された派手な霊柩車は僧侶の葬式用で、
一般の人の葬式用には飾りの無い車を使うそうです。

531[1] オウンミン氏が日本語学校の
校長先生に就任したので、
見学に行きました。
ヤンゴンの中心から車で2時間かかる
田舎の畑の中にあります。
541[1]
学生たち。
皆、日本語で受け答えしています。

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学生の宿舎

551[1]学生食堂

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ヤンゴンに働きに出ている元奨学生たちや、
いつもお世話になっている清岡さんと夕食。
ミャンマーは良くも悪くも急速に変化しており
伝統医学の状況は厳しくなっていましたが、
一時的なもので今後改善すると信じております。
今年もいろいろな方々の協力で
活動を終了できました。
ありがとうございました。

投稿日:2016年5月21日(土)
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2016年4月26日、今年もミャンマーに
渡る時期になりました。
今回は80歳になった母も一緒です。
バガン空港にて。

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豆腐に見えますが、牛乳を煮込んで作ったおかずです。

スージーパン僧院で食事をご馳走になりました。
毎年付き合ってくれるティンエイ氏と
オウンミン氏。

 
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奨学金の使い方をチェック中。

昨年寄贈したお金で、学校の手すりが完成して
いました。今は落ちてケガする子はいないそうです。

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毎年、寄付して下さる本村千鶴子さまの名前が
書いてある机です。

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ミャンマーはインド式の気候なので、乾季の終わりの今が一番暑く、夏休み中です。
気温は41℃でした。

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黒板は3年くらいで、かなりヘタってきます。
ホワイトボードは長持ちしますが、インクが高いので、
黒板が主流です。

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尼さんに食料を差し入れする為に市場へ出かけました。
主婦に買い物を任せているので、値段交渉は真剣です。

こちらは肉屋さん。冷蔵庫が無い昔ながらの
売り方です。

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油は測り売り。ミャンマーではとにかく油をたくさん
使います。

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夜は奨学生たちと、先生方の慰労を兼ねた食事会です。
皆、結構これを楽しみにしているようです。

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奨学金授与式。
今年は高校生への奨学金7人分350万チャット、
鉄製のイスとテーブル4人掛けを10セット60万チャット、
黒板10枚30万チャットを寄贈しました。
本村千鶴子さま、小津和夫妻、オリーブの会AとBさま
より費用の一部を補助していただいております。
更に、私が来られないことがあっても奨学金が
途切れないように、奨学金予備の口座を
スージーパン僧院名義で作り、ここに
592万7781チャットを寄贈しました。

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       僧侶への御布施。僧侶150人と信者さんの分を合わせて、200人分の食事を用意します。

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     奨学金を記念した学幸パゴダを毎年少しずつ整備しています。
    ミャンマーの仏像によく付けてある後光の電飾を工事中です。

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4月29日、マンダレーに移動。
22日から2日間、
ゴルフボール大の雹が降ったと
ニュースにありましたが、写真を見せてもらうと、
おにぎり大の巨大な雹で、8人死者が出たそうです。
大風で空港の広告塔が壊れていました。

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夜、奨学生たちと食事しました。
一人は医師になっており、一人はもうすぐ医学部卒業、
後の一人はフランス文学専攻で大学生です。
皆、元気に頑張っています。

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翌朝、マウンマウンテッ先生の車で、20km離れたヤンキンヒルに
行きました。ここは病気予防に効果があるとされる湧水があります。

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ここでスージーパン僧院の僧侶とばったり再会しました。
あまりの偶然に、思わず記念撮影。

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伝統医学大学で、針ともぐさを寄贈。
今年は針を1万本、もぐさを5kgを寄贈しました。
針の5千本は角本商会さまからの寄付です。
毎年、お世話になっております。

 

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夜は伝統医学大学の先生方と交流会。

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奨学生が通っていた、マンダレーの
現代医学の医科大学。

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5月2日、ヤンゴンの伝統病院で針を7千本、
もぐさを3kg寄贈しました。
この針7千本は角本商会さまから提供されたものです。

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オウンミン氏手作りの温灸載せ器。
簡単に作れるので、伝統医学病院の
先生方にも作り方を教えていました。

 

この他、オウンミン氏が所属する仏教系のボランティア病院にも
針5千本、もぐさ2kgを寄贈しました。

今回、ヤンゴンでの寄贈式の前日、十数年ぶりに細菌性腸炎を起こし、
腹痛で出席が危うかったのですが、手持ちの薬をやりくりして、
何とか一晩で治しました。
腹痛用のブスコパンを20年ぶりに飲みました。
芍薬甘草湯を忘れてきたのが、悔やまれました。

今回も何とかミャンマーでの仕事を終えることができました。
活動を支えて下さる方々、現地の僧侶や先生方、
40℃を超える暑さの中、付き合ってくれた母に感謝致します!

投稿日:2016年3月30日(水)
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年々、飛行機が増えていくヤンゴン空港

2015年4月28日、ヤンゴンからバガン経由で
パコックへ。
雨季はまだ始まっておらず、40℃くらいの
気温です。

今回は通訳としてオウンミン氏とティンエイ氏が
同行してくれました。
二人ともビルマ正月の休暇中に出家していたので、
坊主頭です。

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ティンエイ氏とオウンミン氏
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スージーパン僧院の尼僧の住居              以前は木造のものだけでしたが、今は一部コンクリートできれいになりました

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尼僧たちと
親が貧しかったり、離婚していたり、
色々な理由で尼僧になる娘たちがいます。

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父の分骨を納めたパゴダ。奨学金のきっかけになった父を記念して
学幸(がっこう)パゴダと名付けました。
仏像は平等院鳳凰堂の阿弥陀如来像がモデルですが、似ていません。^.^;

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夜は恒例になった、奨学生や先生たちとの食事会です。今回は僧院の近くに新しくできたホテルのレストランで開きました。

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今年は高校生の奨学生を一人増やして、6人分300万チャット、
医学生が一人卒業したので、残り一人の一年分50万チャット、
大学生一人の一年分25万チャット、学校の手すり6面で60万チャット、
鉄製のイスとテーブル4人がけを10こで50万チャット、
黒板5枚分15万チャット、
計500万チャットを寄贈しました。
今年も本村千鶴子様から奨学金の一部を、
オリーブの会A、オリーブの会B様から奨学金の一部と備品代の一部を
援助していただきました。

昨年の寄付で学校の廊下半分に手すりが付き、
今年の寄付で全ての廊下に手すりが付けられます。
これで転落事故は大幅に減るでしょう。

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贈呈式の後は、僧侶への御布施を
行います。
僧侶が70人、学生や教師たちが
30人、計100人ほどが食事を
摂ります。

私がミャンマーに来た頃は皆素手で
食事をしていましたが、
最近はスプーンとフォークを使うように
変わってしまいました。

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5月1日、バスで6時間かけて
マンダレーに移動。

今年医学部を卒業したミャッテターキン、
弟で医学部最終学年のヘインテココ、
英文学部で博士課程を修了した
ジージーナインと食事をしました。

最後に感謝で拝まれましたが、
慣れたとは言え、やはり照れくさい
ものです。

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翌日、マンダレーの伝統医学大学で
鍼灸用の針の贈呈式を行いました。

今回は大学での実習用に5000本、
治療用に3000本、
オウンミン氏がボランティアで治療する為の
600本を寄贈
ました。

今年も岡山の角本商会さまより
3000本援助していただきました。

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以前、富山医科大学に留学していたマウンマウンテ先生が
鍼灸の責任者になっていました。
先生は息子さん二人が一人前になった後、
カレン族の女の子3人を養女にして、現在育てておられます。

奥さんがカレン族でその関係でしょうが、親戚でなくても
頼まれると、割と気軽に養子にして育てるのはミャンマー人に
よく見られることで、日本人にはなかなか真似はできず、
本当に頭が下がります。

5月3日の夜、夜行バスでマンダレーを立ち、
翌朝早く、ヤンゴンに着きました。
オウンミン氏の家に行くと、カレン族である
奥さんのお兄さんが滞在中でした。
この人はカレン民族軍の中佐で
今は政府軍と停戦になっているので、
事務方の仕事のためヤンゴンのオフィスに
通っているそうです。
私の帽子を記念にあげましたが、
日本兵そっくりです。

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元奨学生で、今はヤンゴンの
日本企業で働いている
テッピューウーも一緒に
去年と同じラカイン料理を
食べに行きました。

日本にはいない巨大シャコが
お勧め!
大きいですが、安くて美味い!!

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5月5日、ヤンゴンの伝統医学病院に3000本、
オウンミン氏のボランティア団体での治療用に
700本鍼灸用の針を寄贈しました。

5月6日、バンコク経由で帰国の途へ。
バンコクで魚のマッサージを初めて受けました。

足を水に入れた途端、ゾワーと魚が吸い付いて、
思わず足を上げたくなるのですが、終わると不思議に
足が軽くなっていました。
整膚に似た効果なのかもしれません。

 

今回も色々な方々のご助力で、無事に活動を終了できました。
最初の奨学生と偶然会えたのですが、15歳だった娘が、26歳の
立派な女性になっていて、改めて時間を感じると共に、
ここでがんばって活動して良かったと思いました。
支えていただいている全ての方々の心から感謝いたします。
そして学生たちの明るい将来を祈念します。

 
投稿日:2014年7月14日(月)
2014年4月25日からミャンマーに行って来ました。
今回はミャンマーで奨学金を始めて10年になる節目の年です。
いつも通訳をしてくれるオウンミン氏は、休暇中に1週間僧侶になり修行をしていました。
後光が射した仏像のようで、思わず拝んでしまいそうですが、果たして煩悩は除かれたのでしょうか?

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翌4月26日、パコック市に到着。スージーパン僧院で挨拶した後、ミャンマーで手術を中心とした 医療活動をすることで有名になった吉岡秀人先生の団体・ジャパンハートが建てた盲学校の 新校舎を見に行きました。吉岡先生は手術だけでなく、孤児院の経営にも乗り出し、今や 日本の医療NPOのトップとなられ、その腰の座った活動にはいつも敬服させられます。
今や希少種となってしまった大和撫子の奥様・春菜先生の支えが非常に大きいのは吉岡先生を知る関係者
みんなの一致する意見ですが・・・。
     
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学校の敷地内に盲目の手相見がいました。
目が見えないのにどうやって手相を見るのか尋ねると、触った感覚と、中国の易のように生年月日から今現在の運勢がわかるのだそうです。
外国人の私が見てもらうと、その後、何人ものミャンマー人が見てもらいたがり、この日の手相見の仕事は大繁盛になったようでした。

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お坊さんたちに食事の御布施をした後、奨学金の授与式を行いました。

夜は奨学生や先生たちと食事会。

医学生の姉弟の学生時代もあと僅か。
姉のミャッテターキンは来年、弟のヘインテココは再来年の卒業です。

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今年度は奨学金を始めて10年目なので、次の10年もがんばるつもりで、奨学生の人数を1人増やしました。
また、ミャンマーの物価が急速に上がっているので、一人当たりの額も増やしました。

 

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中学・高校6年間の奨学金5人分、250万チャット、医学生2人の1年分の奨学金、100万チャット、英文科博士課程の奨学金、40万チャット、建築課の奨学金20万チャット、学校の修復費200万チャット、計610万チャット贈与しました。

その内、島田啓子様と本村千鶴子様から奨学金の一部を、
林惠子様から学校修復費の一部を援助していただきました。

 
DSC024291[1]     奨学生たちと記念撮影。父の分骨を納めたパゴダの前で。

 

 

スージーパン僧院の近くには、信者さんたちのボランティア団体があり、急病人が出た時は救急車を運転して大きな町の病院に運ぶのですが、今回悲しい出来事がありました。
夜中に急病人が出て、運転するボランティアの男性の奥さんも具合が悪かったのですが、急病人が優先と8時間かかるマンダレーまで急病人を運びました。

ところが、帰りに車のタイヤが破烈して車が横転し、運転していた男性は肋骨が骨折して心臓に刺さり死亡。人助けをして、自分は事故死する結果となってしまいました。

翌日、犠牲になった信者さんの家にオウンミン氏と弔問に行ったのですが、奥さんと娘さんが遺影を抱えて泣き崩れており、本当に心が痛みました。
シートベルトで防げたかもしれない事故でしたので、今後はシートベルトを徹底 するよう皆で話し合いました。

 

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4月29日、マンダレーに移動。富山医科大学に留学経験があるマウンマウンテ先生のクリニックを見学しました。

先生は今年、伝統医学大学の鍼灸部門の責任者になりました。
2002年に私が初めてミャンマーで鍼灸を教えた時の鍼灸研修の1期生でもあります。

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薬用オイルを塗りながらマッサージして治療する プットック
インド医学の流れを汲むベッディッサの治療法の一つです。

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4月30日

伝統医学大学にて鍼灸用針とモグサの贈呈式。
針7000本とモグサ7kgを贈呈しました。

        DSC024531[1]       いつも針を寄付して下さる角本商会への

       感謝状です。

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マンダレーの近くにインワという町があるのですが、まだ行ったことがなかったので、見に行きました。
渡し舟にバイクを載せて河を渡ると、遺跡や廃墟が広い場所に点在しています。バガンよりも廃墟としての風情があります。

 

 

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田んぼの横にある普通の家がレストラン スカイビールと呼ばれるココヤシの樹液を発酵させた酒を飲んでいるところ。甘酸っぱくて美味です。             家の横で機織りをしている娘さんたち
DSC026071[1]ナガヨンパゴダ DSC026531[1]旧知の僧ナンドーオウウンター師も元気でした。

5月2日マンダレーからの帰り道、
メイッティーラに寄りました。
8年ぶりです。

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DSC026381[1]ナガヨンパゴダの仏像。

素晴らしいナゴヨン(ナーガがブッダ を 守っている様式)が揃っています。 

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DSC026591[1] 以前火事で焼けた市場は元に戻っていました。
メイッティーラは昨年仏教徒とイスラム教徒の
宗教対立で焼き討ちが起こり、今もその余波を
引きずっています。元々は単なる商業取引の
トラブルだったのが、互いに行き過ぎた報復から
宗教紛争に発展しました。イスラム教徒による
仏教僧3人の拷問と殺害の報復でモスクが焼かれ、
今も1000人を越すイスラム教徒が避難民として
郊外で避難所暮らしをしています。モスクはまだ
焼け落ちたままでした。人を幸せにする為の宗教が、
人を不幸にしているのは悲しいことです。
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カラウェイの形をしたファンドーウーパゴダ
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メイッティーラは第2次大戦中、日本軍と英印軍の間で激戦があり、十数万人が死傷したところです。

シュエ僧院境内にある戦没者慰霊碑にお参りして来ました。

            夜のナガヨンパゴダ
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5月4日
ヤンゴンに戻り、以前ミャンマーで暮らしていた時に住んでいたアムダのトレーニング センター跡を訪ねました。ここはアムダからミャンマー政府に譲られ、使われなくなって久しかったのですが、3年くらい前から助産師の学校兼病院となり、助産師の卵たちがいました。
以前住んでいた時に幽霊が出てそれをお払いした話をすると、興味津々で聞き入っていました

 

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DSC027231[1] 5月5日、ヤンゴンの伝統病院に鍼灸用の針3000本、
モグサ2kgを寄贈しました。
他にもオウンミン氏の所属するボランティア病院に鍼灸用針2000本、モグサ1kgを寄贈しました。

今回の活動はこれで終わりです。
最後まで付き合ってくれたオウンミン氏、
いつもお金の事で助けていただいている清岡道治先輩、奨学金を補助して下さった日本の支援者の方々に感謝いたします。

投稿日:2014年3月17日(月)
   

2013年4月末から例年のようにミャンマーに出かける予定でしたが、

長年ミャンマーへ同行した父が1週間前に
急逝したため、延期となりました。
奨学金は中断する訳にはいきませんので、

予備費を預かっていただいているヤンゴン在住の清岡氏にお願いし、
更に足らない分はお借りして、スージーパン僧院学校へ補充しました。
マンダレーの伝統医学大学へ寄贈する鍼灸用の針とモグサは

初めて船便で送りましたが、着くのに3ヶ月もかかった上、
書類の準備でスタッフが何百キロも移動して用意したものの

税金も免除されず、手間と費用が随分かかる結果となりました。
2013年の奨学金は
中学・高校6年間の奨学金4人分、160万チャット、
医学生2人の1年分の奨学金、100万チャット、
英文科博士課程の奨学金、30万チャット、
建築課の奨学金20万チャット、
学校の建物補修費32万チャット、
計342万チャット贈与しました。
その内、1人分の奨学金は林さまより御協力いただきました。
針とモグサは
マンダレーの伝統医学大学へ針1万本とモグサ8kg、
ヤンゴンの伝統医学病院へ針2千本とモグサ1kg、
仏教系のボランティア病院での治療用に

針3千本とモグサ1kgを寄贈しました。
その内5千本の針は今年も角本商会さまより寄付していただきました。

 

 4月・5月のミャンマー行きが延期になったため、
12月末からミャンマーに行って来ました。
奨学金の運用のチェックをするのと、
奨学生たちを修学旅行に連れて行く約束を果たすのが主な目的です。
今回は招き猫薬局の斉藤正勝さんが同行。
鍼灸用の針とモグサ、25kgの荷物を運びました。
おかげで斉藤さんの荷物は手荷物1こだけ。
カバン1つの軽装となってしまいました。

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ヤンゴン到着の夜、なかなか日本食を
食べる機会のないスタッフのために、
日本人経営の居酒屋へ行きました。
ミャンマーへの日本人ビジネスマン
増加により、居酒屋が増えていて、
ミャンマーでは値段が高いにも拘わらず、
多くの日本人で賑わっていました。
数年前には考えられなかった光景です。
DSC0130811[1] 翌12月27日、朝一の飛行機に乗り、
バガンへ到着。
車に乗り換え、パコックの
スージーパン僧院へ。
斉藤さんが
学校の運営に協力したいと申し出て、
低い机10台、
高い机10台、黒板10枚、
幼稚園の床修理用マット4枚を
寄贈されました。

夜は奨学生たちや地元のボランティアと会食。
成人に達した医学生ヘインテココとビールで乾杯しているところです。

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12月28日から1泊2日の修学旅行。
トラックを2台運転手付きでレンタルして分乗し、まずはポッパ山の麓にある
タウンカラッに到着。ここは精霊ナッ神を祭ってあり、そのお使いである猿が
大切にされています。

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次に、世界三大仏教遺跡であるバガンに移動し、
シュエサンドーパゴダから夕日を見ました。

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DSC014341[1] 食をパクつく奨学生たち
DSC01463[1] 翌朝、早起きして日の出を見に行きました.
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観光用の熱気球の群れ。
ミャンマーが民主化して観光客が増えたため
熱気球も随分増えてデザインも派手になっています。
 
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昼頃パコックに戻り、夕方の列車でヤンゴンに向けて出発。

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DSC016811[1] エヤワディ河に架かる
鉄橋を撮す斉藤さん

12月31日、5時半のバスでチャイティーヨーに向け出発。

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DSC017241[1] 途中ですれ違った
ミャンマー陸軍の装甲車。
初めて見ました。
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昼頃チャイティーヨーに到着。    
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今回の斉藤さんの目的は、
動物生薬の調査。
夢中で写真を撮っています。
象歯。
皮膚病に使うそうです。

虎骨DSC019411[1]

虎の牙の上下             DSC019591[1]

DSC017411[1]虎の全身骨
熊の掌と熊胆DSC017391[1] 熊の毛皮DSC019641[1]
象皮と象の足の裏DSC017451[1] ニシキヘビの皮DSC019671[1] カモシカの油で
マッサージを受ける斉藤さんDSC019461[1]
 
DSC019381[1] ヤマアラシの針。
先端に毒があり、
ここで刺激すると
肩こりなどの痛みに
良く効くそうです。
DSC017961[1]2013年最後の夕日  大晦日のチャイティーヨーDSC018371[1]
チャイティーヨーからの初日の出
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新年のチャイティーヨー。花やロウソクが飾ってあります。
ただし、ビルマ暦の正月は4月頃水かけ祭の時なので、
正月と言うより新暦の新年のお祝いです。

帰りはバゴーに寄り、戦没者慰霊碑に
お参りして来ました。
この慰霊碑を置いて下さっているお寺も学校を持ち、
貧しい地区で子供たちの教育を担っておられました。
日本と違い、寺の境内に墓を置かないミャンマーでは
お寺に慰霊碑を置いて下さるのは例外的な行為で、
いかに日本人に対して手厚い処遇をして下さっているか
本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

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2013年はミャンマー行きの延期はありましたが、
何とか無事に活動を終われました。
SEEDの活動を始めて10年。
やると決めたからには10年は続けなければと
思ってここまで来ましたが、たくさんの方々に
支えられて何とか10年やれました。
これを節目に次の10年も頑張っていきたいと
思います。
奨学金を始めた大きな理由の一つである父は
逝ってしまいましたが、日本と分骨を納めた
スージーパン僧院があるミャンマーの2国から
応援してくれると思います。
日本の方々、ミャンマーの方々、協力してくれる家族、
そして亡き父に心からの感謝を込めて。

投稿日:2012年7月4日(水)
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エヤワディ河に橋がかかり、鉄道が
通じたので、今回は列車に乗って
マンダレーに行こうとしたのですが、
列車が1日1本の上、運行時間が
ムチャクチャで、昨日の列車がまだ
着いていない状態。
仕方なく、バスでマンダレーに
移動しました。

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パコックも橋のお蔭で、交通量が
増えました。
新しくできたバスターミナル。

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マンダレーの伝統医学大学で鍼灸用の針の贈呈式。
今回は1万本持って行き、7千本を伝統医学大学に、千本をヤンゴンの伝統医学病院に、千本をマンダレーの医療ボランティア団体に、千本をヤンゴンの医療ボランティア団体にそれぞれ寄贈しました。

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伝統医学大学の博物館に新しく展示された、伝統薬の作り方の模型。

 

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一つの物質から3つの薬を抽出する方法。
重金属も薬として分離されています。

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伝統医学大学の博物館
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今回もマンダレーヒルにある日本人兵士の慰霊碑にお参りして来ました。伝統医学大学の先生方も一緒です。
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ヤンゴンに戻る前に、念願のチャイティーヨーへ行って来ました。ゴールデンロックと呼ばれるミャンマーの観光名所の一つです。

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この辺りで売っている動物生薬。カモシカのアブラで皮膚病に使います。
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油を詰めた瓶。カモシカの脂肪入りは少し値段が上がります。
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象の足の皮。
皮膚病に使います。
象の歯。磨ってライムと混ぜ皮膚病に使います
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           虎骨。

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皇帝料理に使う熊の手と熊の頭蓋骨。
中国人がどんどん買って行くそうです。
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左はニシキヘビの胆嚢。右は熊胆。
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虎の頭蓋骨。

 

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ヤンゴンに戻ってから、民族村に行きました。ここにはミャンマーの各民族の家や道具が展示してあります。

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シャン族の衣装を着た元奨学生のハンスーシ。
彼女は働きながら大学を卒業した後、七つの試験を突破し、ASEANの奨学金でタイのチェンマイにある大学への留学が決定しました。

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こちらはバカン時代のビルマ族の衣装
投稿日:2012年7月4日(水)
 

2012年4月26日から5月6日まで 今年もミャンマーに行って来ました。
ミャンマーは最近、毎日ニュースで
取り上げられるくらい変化が激しくなっていますが、実際に現地でも それを感じました。

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バガン空港にて国内線の飛行機。
国内線ではジェット機は初めてです!

 
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エヤワディ河にかかるパコックへの橋。
ミャンマーで一番長い橋で、半年前にできたばかりです。この橋のおかげで、今までバガンからパコックまで 船で4時間かかっていたのが、車で
1時間以内に短縮されました。

 

 
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スージーパン僧院付属の病院。
ボランティアで週に2回無料の診療が行われます。
スージーパン僧院の責任者エッガダーマ師。

 

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    待合室の患者さんたち。

 
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薬剤庫。薬は寄贈されたものです。

     医師もボランティア。

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手術室。寄贈された眼科用の手術器具があります。年に数回、国内・国外の眼科医がボランティアで白内障の手術をします。

国民皆保険が無い国では、医療を受けられない貧困層のために、ボランティアが発達していますが、問題は薬代などの資金。薬は高いので、慢性疾患に対して無償で供給し続けるのは簡単ではありません。

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痛みの治療に安くて効果的な水針を教えてきました。
鎮痛薬を投与し続けるより、はるかに安くて即効性があります。

膝のツボにキシロカインを注射するティントゥン医師。

 
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寺に戻って、奨学金の運営の

チェック。

 
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僧侶へのお布施に食事を捧げます。

 
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奨学金の授与式。
中学・高校6年間の奨学金4人分、160万チャット、医学生2人の1年分の奨学金、100万チャット、英文科博士課程の奨金、30万チャット、建築課の奨学金20万チャット、イス15セット3万チャット、テーブル20個24万チャット、教師用テーブル7個17万5千チャット、大雨で壊れた壁の修理代40万5千チャット、計422万チャット贈与しました。

 
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今年も本村千鶴子さまに
援助いただきました。
学校からの感謝状です。

 

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尼さんたちは、身寄りのない子や貧しい家の子を預かり養っています。
奨学生に手伝ってもらって、尼さんたちへの差し入れも毎回行います。

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夜は先生方への慰労を兼ねて、奨学生と一緒に食事会を開きます。
各テーブルを回って、先生方や生徒たちの話を聞きます。

医学生の姉弟と
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お寺のライオン像の前で奨学生みんなで記念撮影  
投稿日:2012年1月11日(水)
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マンダレーヒルから見た伝統医学大学 。
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 奨学金を出している医学生兄弟とその母親も同行。マンダレーヒル参道入り口にて。
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マンダレーヒルにある日本人戦没慰霊碑を参拝。
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1月2日夜、さよならパーティを開いてくれまた。
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1週間の鍼灸トレーニングはあっという間に終わり、1月3日終了式。記念撮影です。
今回、トレーニングと鍼灸治療のため、ヤンイー貿易さまより5千本、カクモト商会さまより4千本、(株)ファロスさまより525本、(株)山正さまより440本、(株)アサヒ医療器さまより100本の針を寄贈いただき、三宅漢方医院からも針1万本、モグサ10kgを寄贈しました。

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終了式の後、17時半発の寝台車でマンダレーを出発。
大学の先生たちが忙しい中見送りに来てくれました

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すっかりミャンマ化してロンジー姿でくつろぐ皆川先生。

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1月4日、車内から見た日の出。平原から上る朝日は格別です。だだし、列車の

縦揺れがきついので、写真は撮りにくいのですが・・・

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1月5日夜、いつも支えてくれる人たちと 慰労会。カラウェイパレスにて。
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双子の衛兵に捕まった(?)皆川先生。
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奨学金の活動を支えてくれるティンエイさんと清岡さん。

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今回、ミャンマーで奨学金を出している大学生が
大学院を目指したいと言うので、有償奨学金を
出すことに決めました。卒業したら少しずつ
奨学金を返し、それを他の子供の奨学金に
当てます。外国人の援助はいつまでできるか
わかりませんので、将来の奨学金への積み立ての
意味もあります。

元奨学生、ハンスーシ。彼女はすっかり自立して、大学卒業後、旅行会社で働きながら、留学を目指してがんばっています。  
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今回も様々な方々の助けで、活動を行うことができました。
針を寄贈していただいた企業の方々、調整をしていただいた方々、そして忙しい中、診療をお休みしてまで
ミャンマーまで共に出向いて下さった皆川先生に
心から感謝申し上げます。(^.^)/

獅子舞のように人が二人入って踊る像。お祭りの時に使われます。  
投稿日:2012年1月10日(火)

以前から再び鍼灸指導をしてくれと頼まれていたのですが、今回、鍼灸師の皆川剛志先生が同行して下さることとなり、12月25日から1月5日までミャンマーに行ってきました

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マンダレーの伝統医学大学病院でオ-プニングセレモニー。
今回は運動器の急性期治療指導と、脳血管障害による麻痺治療用に朱氏頭皮針を指導しました。

皆川先生は今回が初めてのミャンマー訪問です。

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マンダレー行政区の社会関連省のトップ ウィンライン氏も出席。氏自身、眼科医師で徳山の先生の下へ留学経験があります。

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理論を講義しているところです。

受講生は現役のミャンマー伝統医師たちで、すでに鍼灸治療を行っている先生たちです。

診察しながら説明する皆川先生。

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皆川先生の日本語通訳をするオウンミン氏。
ミャンマーで一番広島弁が上手です

 

頭皮針の指導。ミャンマーは脳梗塞で片麻痺を起す人が多いのです。
油が多い食事のせいでしょうか?

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予定していたもう一人の日本語通訳は大学の仕事でなかなか会場に来られなかったので、英語が得意なイーイーアウン先生に通訳をしてもらいました

ミャンマーではビルマ暦を使うため、4月頃が正月です。ただし、1月1日は日曜日でお休み。
マンダレーヒルに登って、初日の出を拝みました。

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投稿日:2011年6月10日(金)

与えたパソコンを練習する二人。
約束通り、私が帰国すると姉から勉強の報告のメールが入っていました。

姉と弟の二人の医学生。父親は5年前に病没しており、母親は小学校教師ですが二人の授業料が母親の月収を超えているため、就学の継続は困難になっていました。 そのため急遽二人の奨学金を決めました。
有償奨学金にして、医師になった後に全額返済させ、それを次の子供の奨学金に当てることとしました

奨学金も今年で8年目。 奨学生も40人に達しました。 ほとんどの子は大学生となり、完全に自立して 仕事と勉強を両立させている子もいます。

奨学生たちと、スージーパ ン僧院の大仏殿にて

 

物価の上昇と、予定外の奨学金を             バガン仏教遺跡の夕焼け
出したおかげで、手持ちの現地通貨は
スッカラカン。
スタッフに借りる事を考えたほどです。
何とかバガンまで移動し、ここで両替
することができましたが、あまりの
レートの悪さに思わず絶句!
今回はお金の苦労が連続しました。

翌日早朝、シャン州にあるインレー湖に移動。

 

ここは足で舟を漕ぐインダー族で有名なところです。

首長族として知られるパダウ族。 伝統的な腰機で布を織り、カバンを作って、  お土産に売っています。
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シャン医学の薬。
ミャンマー伝統医学の薬と一緒に売っています。

中国では漢方の他に、各少数民族の伝統医学があります。
朝鮮族、チベット族、モンゴル族、タイ族などです。
ここミャンマーはインド医学系統のミャンマー伝統医学なのですが、インレー湖ではシャン族(タイ系)の伝統医学がありました。

 

この後マンダレーに移動。
ミャンマー伝統医学大学で、
鍼灸用の針1万5千本、
モグサ7kgを寄贈しました。

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大学の付属病院にて

仏陀が修行僧を治療している絵

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付属病院の鍼灸治療室

 

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ミャンマー伝統医学の膏薬

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薬が流れないように固定した治療。中医学でもこのような治療があるのを本で見たことがあります。

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ヤンゴンに戻ってから、伝統病院に
鍼灸用針5千本、モグサ3kgを寄贈しました。他にも民間のボランティアの病院に鍼灸用針5千本を寄贈しました。

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今年は計2万5千本の針と10kgのモグサを寄贈しました。
内訳は1万1千3百本が例年の如くカクモト商会さまからの寄付、セイリンさまからは3千本、ヤンイー貿易さまから4百本、ファロスさまか
ら3百本寄付していただき、 三宅漢方医院からも1万本とモグサ10kgを出しました。