マンダレーヒルから見た伝統医学大学 。 |
奨学金を出している医学生兄弟とその母親も同行。マンダレーヒル参道入り口にて。 |
マンダレーヒルにある日本人戦没慰霊碑を参拝。 |
1月2日夜、さよならパーティを開いてくれまた。 |
|
1週間の鍼灸トレーニングはあっという間に終わり、1月3日終了式。記念撮影です。 |
終了式の後、17時半発の寝台車でマンダレーを出発。 |
すっかりミャンマ化してロンジー姿でくつろぐ皆川先生。 |
1月4日、車内から見た日の出。平原から上る朝日は格別です。だだし、列車の
縦揺れがきついので、写真は撮りにくいのですが・・・
1月5日夜、いつも支えてくれる人たちと 慰労会。カラウェイパレスにて。 |
双子の衛兵に捕まった(?)皆川先生。 |
奨学金の活動を支えてくれるティンエイさんと清岡さん。 |
|
今回、ミャンマーで奨学金を出している大学生が |
|
| 元奨学生、ハンスーシ。彼女はすっかり自立して、大学卒業後、旅行会社で働きながら、留学を目指してがんばっています。 |
|
今回も様々な方々の助けで、活動を行うことができました。 |
|
| 獅子舞のように人が二人入って踊る像。お祭りの時に使われます。 |
|
以前から再び鍼灸指導をしてくれと頼まれていたのですが、今回、鍼灸師の皆川剛志先生が同行して下さることとなり、12月25日から1月5日までミャンマーに行ってきました。 |
|
マンダレーの伝統医学大学病院でオ-プニングセレモニー。 |
||
|
皆川先生は今回が初めてのミャンマー訪問です。 |
マンダレー行政区の社会関連省のトップ ウィンライン氏も出席。氏自身、眼科医師で徳山の先生の下へ留学経験があります。 |
| 理論を講義しているところです。 |
受講生は現役のミャンマー伝統医師たちで、すでに鍼灸治療を行っている先生たちです。 |
診察しながら説明する皆川先生。
|
皆川先生の日本語通訳をするオウンミン氏。
|
頭皮針の指導。ミャンマーは脳梗塞で片麻痺を起す人が多いのです。
油が多い食事のせいでしょうか?
|
予定していたもう一人の日本語通訳は大学の仕事でなかなか会場に来られなかったので、英語が得意なイーイーアウン先生に通訳をしてもらいました |
ミャンマーではビルマ暦を使うため、4月頃が正月です。ただし、1月1日は日曜日でお休み。
マンダレーヒルに登って、初日の出を拝みました。
![]() ![]() |
![]() |
![]() |
与えたパソコンを練習する二人。 |
姉と弟の二人の医学生。父親は5年前に病没しており、母親は小学校教師ですが二人の授業料が母親の月収を超えているため、就学の継続は困難になっていました。 そのため急遽二人の奨学金を決めました。
有償奨学金にして、医師になった後に全額返済させ、それを次の子供の奨学金に当てることとしました
![]() |
奨学金も今年で8年目。 奨学生も40人に達しました。 ほとんどの子は大学生となり、完全に自立して 仕事と勉強を両立させている子もいます。 |
![]() |
奨学生たちと、スージーパ ン僧院の大仏殿にて
|
![]() |
![]() |
物価の上昇と、予定外の奨学金を バガン仏教遺跡の夕焼け
出したおかげで、手持ちの現地通貨は
スッカラカン。
スタッフに借りる事を考えたほどです。
何とかバガンまで移動し、ここで両替
することができましたが、あまりの
レートの悪さに思わず絶句!
今回はお金の苦労が連続しました。
![]() |
![]() |
![]() |
|
翌日早朝、シャン州にあるインレー湖に移動。 |
ここは足で舟を漕ぐインダー族で有名なところです。 |
| 首長族として知られるパダウ族。 | 伝統的な腰機で布を織り、カバンを作って、 お土産に売っています。 |
|
シャン医学の薬。 |
中国では漢方の他に、各少数民族の伝統医学があります。 |
|
この後マンダレーに移動。
|
|
|
|
ミャンマー伝統医学の膏薬
薬が流れないように固定した治療。中医学でもこのような治療があるのを本で見たことがあります。 |
|
ヤンゴンに戻ってから、伝統病院に |
|
今年は計2万5千本の針と10kgのモグサを寄贈しました。 |
昨年大風で壊れた校舎は全て修復されていました。
黒板も見えにくい旧式のものから、ホワイトボードに変わっていました。表面には日本から寄贈されたものとビルマ語で記載されています。
2008年8月
漢方薬局招き猫の斉藤正勝先生が同行。
6人の子供が中学・高校へ6年間通うための奨学金と
1人の医学生1年分の奨学金を出し、机とイスを10セット寄贈しました。
このうち中学・高校の3人分は正信会水戸病院の吉松秀則院長から、
1人分は患者の竹本チヨコ様から、もう1人分は本村千鶴子様から
寄付していただきました。

マンダレーの伝統医学大学付属病院での医学生の臨床実習

富山医科大学に留学経験のある
マウン・マウン・テッ先生

マンダレーの伝統医学大学に
鍼灸用針4万本、モグサ7kgを寄贈しました。
針はセイリン株式会社と
カクモト商会より寄付していただいたものです。

ヤンゴンの伝統医学病院に鍼灸用針1万本、
モグサ3kgを寄贈しました。
針はセイリン株式会社とカクモト商会より
寄付していただいたものです。
2007年3月
6人の子供が中学・高校へ6年間通うための奨学金を出しました。
このうち3人分は正信会水戸病院の吉松秀則院長から、
1人分は患者の竹本チヨコ様から寄付していただきました。
6人の子供が中学・高校へ6年間通うための奨学金を出しました。
このうち3人分は正信会水戸病院の吉松秀則院長から、
1人分は患者の竹本チヨコ様から寄付していただきました。






奨学金の他は、中井芽菜さんの絵や日本で買った仏像、
姉妹校縁組用のデジタルカメラなどです。

奨学金の他は、中井芽菜さんの絵や日本で買った仏像、
姉妹校縁組用のデジタルカメラなどです。

バガン仏教遺跡群にて

ポッパ山のサル

アマラプラのウー・ベイン橋

マンダレーの王宮

マンダレーのシュエナンドー僧院

生まれて初めての動物園
マンダレーの伝統医学大学へ鍼灸用針とモグサを寄贈しました。
針の一部は今回もカクモト商会から寄付していただきました。

マンダレーで奨学生たちとはお別れ。ミャンマー流に拝まれて挨拶。
別れ際に泣き出す子も・・・。
院長のミャンマーでのボランティア活動をご紹介していきます。
2009年は5月の連休1週間を使って、
ミャンマーのヤンゴン、パコック、マンダレーの3箇所を周って活動しました。
いつもボランティアで通訳と調整役をやってくれるオウン・ミン氏と。
バガン空港にて。
パコックのスージーパン僧院にて。小さな尼さんたちと。
スージーパン僧院付属学校の図書室。まだ本が少ししかありません。
パコックでは本屋が3軒しかないので、マンダレーに行った時、ミャンマーや日本の民話、
世界児童文学、辞書などの本をたくさん買って寄贈しました。
僧侶たちへのお布施。食事としてお出しします。実際に食事を作るのは信者さんたち。
僧、尼さん、信者さん、先生、奨学生たちも含め、一度に百数十人が食事をします。
以前は奨学生や先生たちと夕食も共にしていたのですが、2007年のデモ以来当局の
目が厳しく、政治活動と疑われるのを避けるためここ2年は地元の人との外食は控えています。
奨学生や先生たちと。スージーパン僧院の大仏殿にて。
仏教系のボランティア団体が僧院の前に建築中の病院。
できあがればSEEDの医療活動にも使わせてもらえます。
できあがればSEEDの医療活動にも使わせてもらえます。
塾の宣伝ポスター。
合格者の写真を載せ合格率の高さをアピールしています。
ミャンマーの教育システムはかなり問題があり、塾に行かなければ
成績が上がらないようになっています。日本と違って問題集など
ほとんど売っておらず、
独学での成績向上は非常に困難なのです。
寺に預けられる子供たちは普通の出家もありますが、親が貧しかったり、
離婚や死別で養えないからという場合も多いのです。
6年間の奨学金(塾代込み1人40万チャット)5人分、
医学生の奨学金(1年間70万チャット)1人分
英文科学生の奨学金(3年間30万チャット)
1人分テーブルとイス10台奨学生用辞書25冊が今年の寄贈内容です。
パコックの後はマンダレーに移動し、伝統医学大学にて
学生が臨床実習で使う2万5000本の針を寄贈しました。
これらはセイリン株式会社とカクモト商会から寄付していただいたものです。
伝統医学大学付属病院の鍼灸部門
中国から独自のルートで輸入した鍼灸用針
中国製を手本に、自分たちで作った銅人。
よくできています。
伝統医学大学の先生たちと
マンダレーの後はヤンゴンに戻り、伝統医学大学で治療用の針4000本を寄贈しました。
この他、ワチェの病院で使う針1000本も別ルートで寄贈しています。
今回ミャンマーに運んだ針は計3万本。
御協力いただきましたセイリン株式会社様とカクモト商会様には重ねてお礼を申し上げます。
ヤンゴン国際空港での夕日。
今回も無事仕事を終えることができました。
助けていただいた全ての人に感謝です。
(^.^)/
2006年5月
岡山のボランティア団体“ハンサムな女たちの会”のメンバーや
漫画家中井芽菜さんが同行し、大変賑やかな訪問となりました。
舟でエヤワディ河を遡ります。 港からトラクターでお寺へ移動。
おしりが割れそうな乗り心地です。

スージーパン僧院付属学校に到着。生徒たちの歓迎を受けます。

各学年と記念撮影。写真は日本人参加者から
全ての生徒にプレゼントしました。






6人の子供が中学・高校に6年間通うための奨学金
を出し、4人用イス20セットを寄贈しました。
この内3人分の奨学金は正信会水戸病院の吉松
秀則院長に寄付していただいたものです。

奨学生たちを夕食に招待。 帰国後に中井芽菜さんに
今まで緊張していた学生たちも食べ始めると 描いてもらった
笑顔がこぼれ、思っていることを話し出してくれます。 スージーパン僧院の絵


パコックの後はバガン、メッティーラを経て、マンダレーに移動。
マンダレーヒルにある戦没者慰霊碑にお参りしました。

マンダレーの伝統医学大学で鍼灸用針とモグサ、
針を買うためのお金40万チャットを寄贈しました。
針の一部はカクモト商会様から寄付していただいたものです。
2006年12月

将来日本の学校と姉妹校縁組をする下準備のため、
父幸和と甥祐介を派遣。
ノートパソコン4台を寄贈しました。
インターネットの設定や準備は信者さんたちが行いました。


前回までに寄贈したお金で作ったイスや黒板。
日本からの寄付であることがビルマ語で書いてあります。
今までの活動内容



2004年6月
スージーパン僧院に身を寄せる
尼僧の女の子3人に
高校に通う為の奨学金を出しました。
教育支援活動の始まりです。








2005年3月
岡山のボランティア団体
“ハンサムな女たちの会”から寄付された
お金も併せて、8人の子供が中学・高校に
6年間通うための奨学金を出し、黒板8枚を
寄贈しました。
通訳兼調整役の 調整役の三宅 順慈氏。
オウン・ミン氏とティン・エイ氏 実は従兄弟です。
選考委員のメンバー
総責任者のエッガ・ダーマ師 ピンニャーウーディー尼






学校の先生たちと信者さん
この時奨学生を選ぶ選考委員会を作り、
奨学生の選考や奨学金の運営は
地元の方々にお任せすることにしました。
外国人である私たちは資金を出すことと,
お金の使い道をチェックすることで,
正しい運営に関わることにしています。
総責任者のエッガ・ダーマ師 ピンニャーウーディー尼






学校の先生たちと信者さん
奨学生の選考や奨学金の運営は
地元の方々にお任せすることにしました。
外国人である私たちは資金を出すことと,
お金の使い道をチェックすることで,
正しい運営に関わることにしています。
世界三大仏教遺跡であるバガンからエヤワディ(イラワジ)河を船で
3時間半ほど遡ったところにパコック市があります。港から程近い丘の
上にあるのがスージーパン僧院です。ミャンマーの教育制度は、5歳
で入学して小学校5年、中学校4年、高校2年です。このスージー
パン僧院の周辺は貧しい家庭が多く、公立の学校よりお金を使わず
に行けるよう僧院が付属の小学校と中学校を造りました。
毎年中学に入学する40人のうち、高校卒業までの6年間に、経済的
な理由で20人が退校します。学力があっても学校を辞めざるを得ない
子供たちのため、2005年から本格的に奨学金制度を始めました。
SEEDは、中学高校に行く6年分の奨学金5人から7人分と、学校設備
を整えるための資金を毎年出します。
僧院は現地の選考委員と共に奨学金の運営に当たり、必要なら寮と
食事を提供します。
SEEDの奨学金は三宅漢方医院からの拠出が中心ですが、日本の一般の
方々からの寄付をいただいた場合はそれも奨学金にさせていただいております。
なお、いただいたお金は全て直接学校の費用に当て、渡航費や運営費には
一切使っておりません。
また、援助の適切な規模がありますので、寄付の募集も現時点では行っておりません。
援助と自助努力のバランスが大切だと考えるからです。

スージーパン僧院入口

入口を守る獅子像 貯水池入口

尼僧の住居。子供を預かり養っています。 尼僧の住居内部
本堂 スージーパン僧院付属学校の朝礼
新しくできたレンガ造りの校舎。 風が通って涼しい掘っ立て小屋の校舎
しかしイスは壊れたものを使っています。

教師はほとんどボランティア状態の給料で女性ばかり。

水道が無く、住民が学校の井戸に 教科書が買えない子は
水を汲みに来ます。 先輩が残してくれた教科書を使います。

会計監査でお金の使い方を毎年チェック 奨学金贈呈

新しい机を寄贈 新しい黒板資金を寄贈してくれた団体名
“ハンサムな女たちの会”とビルマ語で書いてあります。
方々からの寄付をいただいた場合はそれも奨学金にさせていただいております。
なお、いただいたお金は全て直接学校の費用に当て、渡航費や運営費には
一切使っておりません。
また、援助の適切な規模がありますので、寄付の募集も現時点では行っておりません。

スージーパン僧院入口

入口を守る獅子像 貯水池入口

尼僧の住居。子供を預かり養っています。 尼僧の住居内部
本堂 スージーパン僧院付属学校の朝礼
新しくできたレンガ造りの校舎。 風が通って涼しい掘っ立て小屋の校舎
しかしイスは壊れたものを使っています。

教師はほとんどボランティア状態の給料で女性ばかり。

水道が無く、住民が学校の井戸に 教科書が買えない子は
水を汲みに来ます。 先輩が残してくれた教科書を使います。

会計監査でお金の使い方を毎年チェック 奨学金贈呈

新しい机を寄贈 新しい黒板資金を寄贈してくれた団体名
“ハンサムな女たちの会”とビルマ語で書いてあります。







































































